●●●1550年4月●●●
土佐国の一族で戦国時代に戦国大名となった一族。、このゲーム(四国志全国版)では当初吉田孝頼といた。
たかだか3万石強の弱小の身で天下はおろかこの土佐で生き残れるかすらも怪しかった。
近くには4.9万石の一条家、30.7万石の三好家がいる。
いつまでも城一つで満足していてはとてもではないが天下に名乗りを上げる前に滅んでしまう。

しかし悲観的な話ばかりでもない。
なんといっての國親の武勇4と智謀5、これは…まぁ微妙な数値だ。一緒にいる吉田の武勇4も微妙に魅力的だ。
岡豊城には鉱山も…ないし、港も…ない。土佐で鉄砲を生産するのが不可能というのと堺から鉄砲を仕入れる期間が3ヶ月という利点もある。
その利点を生かし一刻も早く富国強兵をし朝倉城、浦戸城を攻略しなければ…。

■■■方針■■■
毎月、徴兵・楽市楽座・鉱山開発・9〜2月は新田開発を行う。
当初は金銭に余裕が無いので騎馬兵は雇わない。
同盟を打ち切られ攻められた場合、野戦になると吉田が先陣を切るので吉田に集中的に徴兵。 とにかく港が欲しいので浦戸城を根性で早めに攻略する。    


●●●1550年7月●●●
何と浦戸城を落とすのがたった3ヶ月の歳月を費やすだけで出来てしまった。
月々の徴兵が210人からではなかなか兵士数を増やす事ができなかった。
石高も上がり、280人これからは徴兵できるようになった。(あまり変わってない)
貿易は10艘の船を買おうと思ったが、金がやばいので2艘で我慢。
最初の月は1艘、その金で1艘買い、次は2艘送り出す…とやっていくうちに10艘貯めよう。
忘れずに浦戸城の守備兵を…
■■■方針■■■
来月、宿敵本山家と弱小大名生き残りを賭けた決戦をする。
敵の守備兵は300と600。いける。強襲だ〜。
兵力、石高、武将の能力共にこちらが勝っている。
   

◆◆ポイント◆◆
内政の自動化
軍団編成で軍団長にパラメーターの一番低い武将を任命
軍団指示で土佐を選択し行動指示は内政。これでいちいち貿易などをやらずに済む。
軍団資産で資金を軍団に与える。
(注:資産残高が低くて8月までに赤字に転落しそうな場合は軍団に資産を多めに分配しておく、本隊は徴兵できなくなるというディメリットはあるが、トータル資金がマイナスでも船を派遣したり内政を行ったりすることができるのでこちらの方が早めに国が造れる)
●●●1551年2月●●●
宿敵本山家との決戦に勝利し石高も8.2万石とかなりあがった。
しかし楽観などもってのほか。まだ一条家に従属の身なのだ。
武将は未だ國親と吉田と郎党2人としょぼい。郎党には軍団を任せよう。
■■■方針■■■
★1案
土佐吉良家を攻めて、その後一条家と雌雄を決する。
ただ一条は兵力もかなりある。せっかく今までコツコツ貯めてきた兵が死んでしまう…。
しかも一条のおかげで三好と組んでいられるのも事実。破棄してしまったら四面楚歌…
今の国力(武将数・兵士数)では攻撃をうけるとすべてが手薄になる。
しかし滅ぼすことが出来たら土佐はほぼ手中に収めることが出来る。
★2案
香宗我部家を攻める。
今は武将が少ないので慎重に攻め確実にゲットしたいのも事実。
その後、安芸家も滅ぼし、土佐の右半分を得てしまおうという作戦。
その先の海部家の武将3も魅力。
★採用
一条とは従属関係を維持したまま香宗我部を攻めその後土佐右半分を得る。
河内畠山は根来寺でルートが分断されているため湯川家が臣従してしまうのは考えにくい。
損害を最小限に押さえるため、兵糧攻めはボツ。敵の守備兵を2倍以下の兵力でさそいだして強襲する。
香宗我部、安芸と進出できたら今度は戻って土佐吉良を攻める。(もちろん、敵の武将は全員登用できるまでやりまくる。)

◆◆ポイント◆◆
セーブデータ
セーブはいくつか作り、かなりこまめに行う。一つの行動が戦国時代では命取りだからだ。



●●●1554年4月●●●
何とか、広岡城、香宗城、安芸城、海部城そして日和佐城を手に入れた。
24.9万石となるが74.5万石の三好と接触してしまう。
幸い三好は琵琶湖から四国まで横長に勢力を伸ばしていてあちらこちらに敵をかかえておりこちらを攻める余裕はなさそうだが油断は禁物だ。
何としても岸和田・堺攻撃し港2つと大規模な堺の経済を手に入れたいところだが、攻撃された後の城の維持、一条の従属もあまり当てにならない。
ここはある程度三好に食い込んでおいていざというときにいつでも攻撃できる体勢にしておきたい。
というわけで、牛岐城をと白地城を攻めたい。
■■■方針■■■
三好を攻撃するにはまず一条から独立しなければならない。
一条は13万6345万石と10万石もこちらが勝っている。
牛岐城、白地城攻略
姫野々城・久礼城の様子は観察
三好の勢力の観察

◆◆ポイント◆◆
城守備兵
城守備兵は0.1と一見安そうだが1000人で月100、年1200かかる
守備兵1000でいいところを3000雇うと年2400雇うことになる。
そのような城が10あれば年24000の損害
資金の減少は自軍の進軍スピードを鈍らせるのに繋がる。
●●●1555年10月●●●
牛岐城、白地城は強襲で攻略した。
武将は12人(うち3人郎党)に増えたがなかなか有望なのがいない。
根来寺には孫市を置き河内畠山にそなえた。
福留は武勇6だが智謀の高い奴がいない。欲しいなぁ。
この時点で、総足軽兵数19200と五位だ。貯めすぎで資金不足の恐れもあるのでこれからは少しづつ貯めよう。
この様子だと近いうちに一条が河野に滅ぼされそうだ。
そうなる前に一条の領地を得なければ!
◆◆ポイント◆◆
釣だし作戦
まともに兵糧攻めをやったり大軍での強襲はコストがかかる為、城内の兵士を野戦に持ち込み兵数が減ったところで一気に大軍で押し寄せて攻撃する作戦。
2倍以上で兵糧攻めをしないと野戦に持ち込まれるの裏を書いた戦法。
ただし敵よりも兵士数が多いと必ずしも野戦に持ち込めるわけでもない。
適任は鉄砲数が多く武勇の高く兵士数が城内合計よりも多少低めの武将。
遠くで鉄砲を撃ち人数を削り、20ターンに合わせて敵を退却させることができると理想的。
戦略フェイズで一旦武将を退却させ城内の人数に合わせた武将が出陣フェイズで変わりに出陣できれば尚可だが、一旦軍を引き上げた時同盟国が同じ城を攻撃しようと軍を差し向けた時、軍勢の少ない方が退却しなければならないので注意が必要。

■■■方針■■■
釣だし作戦で姫野々城・久礼城・窪川城攻略
●●●1557年8月●●●
釣りだし作戦で見事三城を得た。
これでもう一条は潰したも同然だ。もちろん一条の武将は全員頂く。
大友が伊予に進軍してきたので非常に危険だ。
大友は島津に従属している…。
下手に大友を攻めて臣従されては面倒だ。
ここは、大友を九州に追い出して伊予飯盛城で食い止めよう。
島津の独走は早めに手を考えないと…。
■■■方針■■■
一条家をすべて釣りだしアンド強襲で落とす。
河野、大友なんかにやるもんか!
土佐中村を手に入れたらすぐに船を補充アンド貿易開始。
これで貿易黒字がグッっとのびる。
●●●1558年8月●●●
作戦は成功した。
一条を領地をまるまるゲットして、さらに大友の武将(かなり有能!)を多数頂いていしまったのだ!
経緯はこうである…
まず一条を滅ぼす→大友も一条を攻める。→大友の攻めていた城を泥棒!→同時に河野も大友に食い込む(四国で連携?)→上手く大友を誘導して何とか20人集まるまで待って兵糧攻め→一ヶ月で落城→武将ゲット!
かなり横取りをしてなんとか大友を九州に追い出すことが出来た。

不戦同盟を結べば良いのだが金がかかるので大友家のほうから申し込んできてくれると良いのだが。
島津284万石・長宗我部61万石・三好50万石・大友33万石・河野18万石
長宗我部は一宮城以外すべて直轄地だしまずまずの状況までなってきた。
戸次鑑連…武勇9。サイコー
■■■方針■■■
大友家と同盟(必然的に島津も)。
同盟破棄→河野家・村上家を攻め、伊予平定を目指す。
平定後はこちらからでも大友と同盟を組む。

●●●1559年10月●●●
河野を力押しをしていたらいつの間にか臣従させていた。
まぁいいだろう。河野の鉄砲も欲しかったし。湯築城の港も得たし。
これで港も3つ船も30艘できたので経済的な基盤もしっかりとしてきた。
しかし鉄砲は高い。この値では今は無理だ。
騎馬兵はそろそろいいだろう。
次は阿波だ。阿波には三好がいる。
三好は智謀9の松永久秀や智謀7で当主の三好長慶などいい武将が沢山いるので慎重に行かないとすぐ兵が少なくなってしまう。
できれば欲しいな。(←贅沢)
◆◆ポイント◆◆
城防御
・理想は城普請もせず、兵士0のまま多少の兵糧が残っているのがいい。
しかしこれだと残党に襲われた時に1ヶ月で落城してしまうので、兵士500くらいは入れておき援軍が到着するまで待てるようにする考え方もある。
・敵に接触している、もしくは同盟を破棄して接触を予定している城は普請で防御を上げ兵糧・兵士を溜めこむのだが、過剰な防御はコストを食うので注意したい。
・守備兵を入れずに合戦を行わない兵士を置いておく考え方もあるが、兵糧と武将の兵士数の関係、通常守備兵は武勇が3あるがそれよりも少ないと予想よりも早い期間で落ちてしまう危険性があるので注意が必要。
・敵対勢力と接触している場合、城に大勢の武将を配備し攻めてこられなければよしとする。合戦で傷が深くなってから退却するよりも、先鋭に援軍をまわってもらえるようだったら身を引き被害を兵士数の被害を最小限にする。
・敵を上回る鉄砲すうを持っていると武勇が多少弱くても勝てる。
・敵に包囲された場合落城までに援軍は行けばいい。直ぐに援軍に向って毎月のように攻撃を受け消耗戦になるのは避けたい。

●●●1561年6月●●●
阿波もあと少しで手中に収めることが出来る。
ここまでくると三好から同盟申し込みが毎月くる。(誰が許可するか!都合のいいときだけ申し込みよって)
ただ心配なのは島津と但馬山名家の大勢力と接している事だ。
何とか同盟を向こうから申し込んでくれるのを祈るばかりだ…。
渭山城が今後の拠点となりそうなので普請して兵と兵糧を貯めておく。
■■■方針■■■
阿波を完全に平定し、四国三国を手中に収める。
当分は外交に力を尽くしてなるべく交戦の状態を防ぐ。
釣りだし作戦を有効に活用していく。
●●●1562年12月●●●
まず三好と同盟を組んだ。
その後、三好を上手く使い、河内畠山の兵を削らせることに成功した。
裏切り…ゴリ押し…落城…こうして三好を潰した。
武将も有望株をいくつか拾った。(松永久秀など。)
もう少しで四国統一だ。…あと一息だ。
理想は直轄地にする事だったのだが、河内との接戦の為、三好を臣従せざるをえなくなってしまった。
石高では8位に入っている。 ■■■方針■■■
讃岐の出入口、雨瀧城を落とせたら兵、兵糧補充。同じく木津城も。
予想外に河内畠山にいい武将がいるので苦戦する見込み。
九州征伐に回りたいところだが堺・岸和田の港、鉄砲も欲しい。
というわけで河内畠山は潰す。 ◆◆ポイント◆◆
客将
臣従させた各大名家からそれぞれ一人客将として預かり徴兵など行ったり軍団長をまかすことができたり、野戦での本陣の智謀の数値を加算する事ができる。
臣従大名をすべて滅ぼし雑賀軍の武将として使おうと思っていたのでこのコマンドは積極的に利用しなかった。(失敗)
捕虜武将
登用しようとしても拒否されると捕虜にした。
主家が滅びると登用可になるが、主家が臣従しても登用可にはならなかった。
ある程度ほっとくと登用可になる場合がある。
毎月、人事フェイスの捕虜処遇には必ず眼を通した。

●●●1564年3月●●●
予想以上に手こずってしまった。
相手に雑賀孫市(智謀9武勇8)がいたからだ。
何度も奇襲をかけられ、もう少しで城が落とせる所であえなく撃沈。
だが収穫も大きかった。今回の進軍で港5つ、有望な武将を何人も頂いたのだ!
ただ周りの大名はそれぞれに成長を遂げているため、進軍スピードは遅くなっては困る。
急がなくては!
■■■方針■■■
さて、堺の町を手に入れた。何ッ!?鉄砲が生産可能!?しかも600挺!
これからは紀伊方面にのびていきたいと思う。(理由はない。)
●●●1566年5月●●●
何とか堺→岸和田→紀伊とのびて、河内畠山より石高が高くなった。
しかしまだ8位だ…これから上位を牛蒡抜きせねば。
高野山で河内畠山の武将9人を手に入れることが出来た。
しかもその中に智謀9の雑賀孫市が!
これで智謀面では松永久秀・雑賀孫市と、トップクラスのラインができた。
武勇でも、戸次鑑連・雑賀孫市となかなかの強者が集まっておりますのぉ。越後屋。
紀伊を手に入れたことで鉄砲生産の能率がかなりあがった(600挺→1610挺)。
しかも価格のだんだん下がってきているのだ!鉄砲生産は毎月やるべし!
港もかなり増えて、資金ランキングでは堂々の一位。これならいくら鉄砲を買ったところで破産はあるまい。
■■■方針■■■
河内畠山を殲滅させるべく大和、山城へと向かう。
そろそろ進軍スピードを上げるために臣従はどんどん受ける。
武勇の高い武将にはある程度の鉄砲は持たせておく。(多少兵が劣っていても鉄砲があれば勝てる。)
●●●1568年4月●●●
大和・山城と無事に損害もなく平定することが出来た。(河内畠山には滅んでもらった。)
しかしまだ石高8位だ…なかなかあがりませんなぁ。
本来なら、近江まで進出して「天下半分の計!」とかやりたかったが、既に近江には但馬山名と六角、それに北畠まで入り交じっての混戦模様なのだ。
そいつら全部と交戦状態になるのは今の武将数、兵力から見てかなり厳しい。
島津が二位に転落して(長宗我部、但馬山名が進出を妨げている。)、かわりに北条が一位に躍り出てきた。
北条は関東から東北東部をほぼ支配しているのでかなりの大勢力だ。
このまま行ってしまうと、北条に武田も朝倉も今川もすべて飲み込まれてしまう。
■■■方針■■■
★1案
中国地方を攻めて、中国四国地方の覇者となる。
中国地方はかなり土地も豊かで進出するには申し分ないが実はこの作戦には難点がある。
現在、中国地方で足踏みをしている山名但馬家だ。
こいつらは何故か鉄砲が異常に多くてかなり攻めにくい。
しかも智謀10の毛利元就、8の宇喜多直家らがいる。
現時点では武将能力に至っても負けている。
★2案
九州を攻める。
新大陸へ進出できず、2位に転落してうずうずしている島津家を攻めてしまおうという作戦。
九州は現在石高約350万石ある。こいつらをすべて手に入れると大体総計600万くらいになるな。
薩摩では鉄砲も生産している。薩摩も得たいものだ。
だがそれだけに島津家も安く鉄砲を生産していると言うことだ。
★採用
島津家を攻めて北条と並ぼうとする作戦。
但馬山名家が九州を横取りしようとしてきたら九州の玄関口、門司城・勝山城を先に奪い、何とか食い止める。
智謀が非常に高い武将がこちらにいるため、例え10倍の敵が城にいても奇襲で全員退却させ、強襲という効率のいい攻撃が出来るようになった。
さらに万が一、北条が南下してきても但馬山名家が自慢の鉄砲隊で押さえてくれるだろうというかなり都合よく考えている作戦だ。

●●●1568年12月●●●
かなりスムーズに豊後という九州の一国を島津から奪い取った。
島津家は但馬山名家と交戦中だったので島津の兵は中国地方で奮闘していた。(祖国が狙われているとも知らずに)
よって手薄の豊後はすぐ手に入れられた。
武将の関係であまり交戦ラインは広げられない。
これからはどれだけ早く一つの城を落とせるか、落とされないかが鍵になるだろう。
■■■方針■■■
さてここで問題となるのが、進行方向だ。
前にも言ったが、我が軍は武将数が少ない。よってなるべく一点集中で一ヶ月1,2城のペースが望ましい。
どっちの方向に進行していくか…
1、日向、大隅方面。
2、豊前、筑前方面。
採用、2。但馬家を先に阻んでおくのが最良だという判断。
●●●1570年2月●●●
門司城こそ但馬山名家にとられてしまったものの、あとはまぁ上出来といったところだろうか。
中国は予想通り、島津が全滅=但馬山名が統一,だった。
中国での戦いに敗れはした島津は攻撃目標が一つに定まると(当然、我が軍。)、かなり手強かった。
武将当主の黒田孝高の智謀9もかなり強力だった。
だが時勢が長宗我部に味方しているように奇襲が立て続けに起こり、九州の一角に長宗我部が食い込んだ――。そんなところだ
■■■方針■■■
目標は九州統一。それ一つ。
直轄がベストだが、今は北条との石高争いもあるのでスピードも気にしながら進軍していく。
何とか5年以内に…。
●●●1576年2月●●●
九州を統一するのにやはり5年以上かかってしまった。
石高は見るとついに680万石に達し、2位に…。
一位は北条の880万石だが、たった200万石なら今までの苦労より果てしなく容易い。
武将も52人、北条の54人まであと一息。
兵力的には既に一位になっていた。
…さぁ!北条を倒しに行きますか!
■■■方針■■■
但馬山名家はほっといて、まず道を阻む、北畠家を臣従させる。
その時に伊賀惣国一揆は臣従させず、滅ぼす。あそこは異常なほどに武将が強いからな。 天下が見えてきた…。
●●●1578年2月●●●
北畠は案外簡単に臣従できた。臣従っていいなぁ…。一気に90万石が…
伊賀惣国一揆も兵糧攻めで慎重に攻めたが、一年もかかってしまった。(改めて智謀の怖さを知った。)
一年の収穫として、藤林長門(武勇9智謀7)と百地三太夫(武勇8と智謀9)の二人を手に入れた。
石高はかなり北条との差を詰めてきている…。あと一押しだ!がんばれ!
■■■方針■■■
今川を、強襲、強襲、強襲で攻め滅ぼす。
但馬山名家はあとで潰すので今はほかっておいて良い。
天下分け目の戦いまで、あと1年…。
●●●1579年11月●●●
今川は、智謀最強軍団で攻め入ったら脆くも崩れていった。
そして1579年一月、天下分け目の戦いが始まった…。井伊谷・曳馬で…

井伊谷・曳馬の戦い
長宗我部軍64万、北条軍90万。
長宗我部軍総大将「雑賀孫市」副大将「百地三太夫」
北条軍総大将「松平元康」副大将「鍋島直茂」
両軍の国力はほぼ互角。だが戦陣に駆けつけた兵は僅かに北条が多いか…。
ここ井伊谷・曳馬で正に今、天下がわかれようとしていた――。
■■■方針■■■
必ず、20人の大軍の中に智謀8、9の武将を一人は入れておく。
但馬山名家はあとで潰すので今はほかっておいて良い。
敵の退却路がなくなったら突撃、そして兵糧攻め(ひとつきで落ちる)。それを繰り返し、北条の武将を引き抜く。

VS ●●●1579年11月●●●
井伊谷の戦い
長宗我部軍19.5万、北条軍19.9万。
天下分け目の戦いの幕開け…。
北条軍大将「石川数正」
長宗我部軍大将「藤林長門」
兵では、北条軍――
近代兵器鉄砲では、長宗我部軍――
■■■方針■■■
北条側には武田家の斉藤道三がいる。奇襲攻撃には気を配らなければならない。
野戦になったら、とにかく鉄砲だ。鉄砲で敵の兵力を削ぐ。 あとは天に任せるしかない。

VS ●●●1579年12月●●●
曳馬の戦い
長宗我部軍17万、北条軍20万。
天下分け目の戦い――。
北条軍大将「松平元康」
長宗我部軍大将「百地三太夫」
兵では、北条軍――
近代兵器鉄砲は、両軍共に譲らず――
■■■方針■■■
兵での差はこの戦では鉄砲で埋められない…。
となると、我が軍の強みといえば「百地三太夫」だ。智謀9で我が軍を引っ張っていってもらうしかない。
あとは天に任せるしかない。

●●●1579年2月●●●
天下分け目の井伊谷・曳馬の戦いから2ヶ月…。
そう、我が軍は北条に打ち勝ったのだ!
石高も、ついに待望の一位に。
時勢は我に味方をした…そう長宗我部が勝ったのだ。
勢いのある長宗我部軍は続いて、横須賀、掛川、二俣、諏訪原を奪取した。
■■■方針■■■
但馬山名家が出てくる可能性もあるあここは北条を叩く。
関東へ――


●●●1588年2月●●●
時代は動き、そして連なる…。(9年経ちました)
北条軍殲滅を目指して意気揚々と向かったのだが、そこは流石の北条軍。
まだまだ残党も残っていて、かなり苦戦を強いられた。
関東へ――
と、向かったが予想以上に関東が入り組んでいて攻略は難しい、との見方から
まずは北条―但馬山名の接点を消して、但馬に石高を稼がれないようにと信濃、飛騨、越後方面へ進出…
相手武将の8割は臣従郎党だ。
我が軍の敵ではない。
とは思ったが、北条にはまだ鍋島直茂がいる。予断は許されないな。
■■■方針■■■
ひたすら残党狩り…
ここまでくると作業だな…

●●●1593年2月●●●
時代は動き、そして連なる…。(5年経ちました)
かなり武将も死んでいった…。
斉藤道三、松永久秀はじめ20数人…。
人の命など儚いものだなぁ…。
さて、北条軍は越後→上野→武蔵→房総半島と進んでいったら臣従してくれた。
武将が次々と天に召されていくので、一刻も早く天下を統一しなければ。
あとは但馬山名家だけだ。
但馬山名とは四国で戦っていた時からの仲だ。(不戦同盟)
彼等と対峙するのは少し戸惑いもあるが日本のためなのだ。
異国と戦うためにも日本が一体化していく必要がある。(あくまで空想です)
長宗我部はそのために戦い、殺し…そして自らその先駆けとなるべくしているんだ。(あくまで主観的見方です)
血は流すものではなく、救うためにあるんだ!(興奮気味で何言ってるか分かりません)
死んでくれ!但馬山名家!(結局ここにたどり着きます)
■■■方針■■■
敵の八割は郎党…
しかも但馬山名家は臣従も沢山している。
…あれ?鉄砲数、差が4000しかない。
あ、近江が半分取られて生産しまくってるんだ!
近江だけでも奪っておくべきだった。

但馬山名家は中国地方全土に広大に構えているので、
九州、四国、畿内と接し、すべてに出陣命令をだすのは不可能だ。
というわけで、★軍団編成!
軍団を二つ作って九州、四国へ侵入されないようにしよう。
つまり畿内から本軍が攻め、四国・九州は予備軍が但馬の侵攻を防ぐ作戦をとる。
じわじわと攻めていこう!


●●●1599年7月●●●
一気に中国を制覇しました。但馬山名はすぐ臣従してくれましたね。
尼子も結構脆かったけど、陶は潔く最後まで戦いましたね。
スクリーンショットは陶家が臣従してきた直後のものです。
さて、天下統一しましたね。

▲▲▲感想▲▲▲
一国一城の領主から天下人までの道程は長かったです…
途中、元親が死んだらどうしようかとも思いました。
長宗我部の最初のデータ見たときは凍りつきましたね。
なんせ城一つの凡武将二人ときたもんだ…。
四国統一が最初の目標でしたから…。
まさか天下を統一できるとは…。
一番苦しかったのは四国統一後ですね。河内畠山家との戦いが一番苦戦しました。
なにせその時点での智謀は当主の6が最高で、敵には雑賀孫市、松永久秀がいて、二大名とも石高、鉄砲でそっちのほうが上であったわけですから。
利用できる物をすべて利用しましたよ。地形、敵、見方、金、武将…。
その苦労の上にでうちに雑賀や松永が手に入ったわけです。
次に苦労したのが、大友との戦いです。上では簡単に書いてありますけど、当時大友は島津に臣従していましてね(島津石高一位)。
何とか九州に追い出したわけです。その二つの戦いでの出来が天下統一に大きく響いたと思えます。
セーブデータももう20個以上作りました。(どれに何が入っているのか忘れましたけど)
島津はなるべく早く平定したかったのでかなり焦った攻めをしてしまい、結果少し予定より遅れてしまいました。
薩摩という地で鉄砲が生産できたのも大きな勝因の一つですね。
鉄砲を持っているのと持っていないのとでは天と地ほどの差がありますね。
鉄砲の存在感の大きさが身にしみて分かりましたよ。
但馬山名をいつ叩くかにはいつも悩んでいました。
結果、最後に戦ったわけですがもし、島津と戦わずに但馬山名と戦っていたら…。
時代は変わっていたのかもしれません。それが戦国の世です。
もし僕が長宗我部元親だったら…命がいくつあっても足りないでしょうね。(元親は統一1,2ヶ月前に死んだ)
厳しい世界です。だからこそすべての大名に可能性が残されている――
その事を皆さんに長宗我部の弱小大名の天下統一という形で教えることが出来、本当に良かったです。
この戦国史というゲームを作って頂いたasaka氏に感謝♪
結果、受験勉強の時間もかなり削り取られたわけですが、それ以上の収穫もあったことですし…。
まぁ終わりよければすべてよし。ですね。

追伸:長宗我部家元親は野望を達成できて満足だと思います。


2005年11月28日 著者りべ・いす愛好家    
長宗我部軍最終武将各部門トップ10